シナリオを前提とした論議が出来ない

先程Abema.TVのニュース番組を見ていてコメンテーターの宇佐美さんが言っていたことに深く納得。要約すると以下の様な内容。

「日本の場合の安全保障などの問題に対して、例えば”戦争が起きるかも知れない”といったシナリオを前提とした論議が出来ない。つまりそういった問題を掲示した時点で議会が紛糾してしまい議決にまで行き着かない。」

確かにそういったネガティブな予想を元にした論議というものが難しいのが日本の政治や企業を含めた集団なのではないかと思う。

今回のCOVIT-19の問題でも、発生時に十分論議されたとは言えず、感染が広がってからやっと動き出したという感じだ。それでは国家としての安全保障は低いレベルにあると思う。(原発問題にしても同じだ)

私自身FBにそういったネガティブな事を書くとき多少ためらいを感じるし、できれば馬鹿な記事だけ書いていたいと思うのではあるが、その感覚自体がすでに日本的慣習に毒されているのではないかと思う。

その反面、危機感を煽って商品を買わせるというのがTVCMなどの常套手段となっているのも日本の実情だ。「ほらほら、こんなにバイキンだらけのトイレを除菌一発!」みたいなCMが非常に多い。

そういった世論の反応を前提に様々な法案が密室で決定されている可能性も高い。勿論、民主主義がどんな場合でも最善の決定をできるものだとも思わない。

ある点では、独善的決定のほうが良い結果をもたらす場合もあるだろう。ただもう少し我々自身が否定的予測や問題に関して冷静に判断できる素地を作る必要があるだろう。

写真撮影:2018/3/3 草千里深夜