やっぱり関わった人が傷つくのは嫌だ。

過去の自分がそうであったように、目前の私を持て余し、それによって他者を傷つけるような言論と行動を取る人を見るとなんとかしたいと思う。

もちろんそんなことはできない。

もし、それを実行したいと思うなら、色々なことをすべて引き受ける必要がある。それが今の自分に可能かどうか?そこに覚悟がなければ動くこともできないだろう。

とはいえ、ただ手をこまねいて見ているだけというのは違うだろう。

今の自分を冷静に捉えつつできることを見つける。

要は諦めないことだ。

何かをして失敗を繰り返し、そこで学ぶしかない。

 

コンピューターは魂の入れ物たり得るか?

その昔友人とコンピューターは魂の入れ物たり得るかと言う議論をしたことがあります。多分10何年も前の話。

そこでは、今のコンピューターではそれは無理だろうと言うのが私の結論でした。

その理由として現在のデジタル処理の持つ根本的な生物との違いです。例えば私たち人間の脳は情報を処理する際に電気パルスとホルモンの2つを使ったハイブリット構造になっています。

つまりデジタルとアナログ両方が必要とされているわけです。例えば電気パルスのようなデジタル信号だけではなぜ駄目なのか?

その理由はよく分かりませんが、現実としてそういったハイブリットであると言うことが知られているわけです。それに対してコンピューターは2進数の数字によって情報処理しています。0か1の世界ですね。

入力と出力はアナログになりますが、情報を処理している間は、中間的な曖昧さがないデータとして処理されます。

コンピュータは我々の精神活動の1部をシュミレートして発達した道具です。そのために脳の機能を全て再現できるわけではありません。

最近では人工知能が進化して人間の生活を脅かす可能性などに関しても論じられていますが、それが知能ではなく知性を持つと言う事は考えづらいと思っています。

現在の人工知能ではあくまでも学習に基づいた高度な推論が可能と言うことであって、それらの評価基準等には人間の手がどうしても必要になったりします。

これらが以前もてはやされたファジー素子や量子コンピューター等がさらに一般化し改良されたときにはもしかすると新たな出来事が発生するかもしれません。これら基本的な仕組みには0と1だけでなくその中間の値を処理できるものが含まれています。

こうなってくると、先に書いた人間の脳との類似性が高まるわけです

新しい価値を創造し守る事。

アートにしても仕事にしても「新たな価値を見つけ出し作り出す」という事が重要になってくる。

それと対になって、「それら価値を維持し守る」も存在している。そのどちらを主にやるのかはそれぞれの役割であり選択であろう。

宇宙の仕組みとして、すべては最終的に混ざり合い平衡状態となりエネルギーは消滅する方向に向かうのだが、そのカオスに対抗しているのが生命であると言える。

それはつまりすべては消えゆく運命であるにも関わらず、そこに秩序をもたらし波(出来事)を起こし、継続させるのが生命だという事だ。

それは基本的なプログラムみたいなものであって、そのまま存在意義となっている。

私たちが自分の存在の意義を考えるとき、こういったマクロな視点で見ることは少ない。相対的社会的関係性から自分を測って存在する意義がないとかあるとか言っているが、そんなことを超越してそこに意義はある。

もっと言えば存在していることは奇跡でもあるが、それと同時にそこに善悪もない一つの現象だと言えるだろう。それを認められれば存在意義になどに悩む必要もない。

それら要素の一つとしての霊的存在などに関しては現世ではよく分からないし、あまり語るべき事もないが、そのような存在があっても、不思議ではない。

それらは先人の多くの師たちが共に認めている。

そのうえで存在するのは「今」しかないと考えるべきだろうし、今何をするのかですべては決まっていく。基本プログラムを理解し、新たな価値を造り続け、守っていく。これが出来ると「私」という命も納得するのだと思う。

脳に使われるな脳を使え!

多分同じことを脳生理学者の方々おっしゃっていると思うが、私も同じことを昔から実践してきたと思う。

例えば朝起き。今は殆どタイマーを使う事がない。じゃあ、どうやって起きているかだが、寝る前に

「明日は8時までに学校に行かなきゃいけないから7時には起きるんだぞ。今が2時だからあと5時間しか寝れないけど、昼から時間あるからちょっとは昼寝できるぞ!」

と、事細かく言葉にして頭の中で反復するのだ。そうすると必ず起きる事が出来る(起きれると信じることが重要)

これと同じように、様々な応用が出来る。

例えば、よくある話で「やりたいことがない」と嘆く若者。しかし、やりたい事を見つけることなど簡単だ。自分が興味あることのどれかに決めればいいだけなのだが、そのどれかに決める事が出来ないと思っている。

つべこべ言わずに決めろ。

そこにプライオリティー(重要度)を仮につける。そうしてそのプライオリティーを自分に言い聞かせるのだ。

例えば、勉強でもいい。

勉強の何かの教科を選択して、それを自分は会得したいのだと自分に言い聞かせる。その際にできるだけクリアに会得して何ができるのか想像する。その想像を頭の中で反復する。

それを日課にしていくと自然に体が動き出す。

時間があると対象の事を調べたくなり、自然と知識が積みあがっていく。知識が増えると面白くなってくる。面白くなれば自然と勉強も可能になるのだ。